「好き・嫌い」と「良い・悪い」は違う。勘違してはいけない!

どうも、サッキー(@sakky_tokyo)です。

日常の会話などで、よく「あのバンドの音楽好き!」とか「あそこのバンドの曲は良いよね!」といった会話がありますよね。

この「好き」と「良い」、ほとんど同じような意味で使っている人がいる一方、僕は明確に使い分けています。

というか僕は「好き・嫌い」の話はしますが、「良い・悪い」の話はできるだけしないように心掛けているんですよね。

今回はそんな「好き・嫌い」と「良い・悪い」という、似ているけれど実は全然違う言葉について話をしてみたいと思います。

 

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「好き・嫌い」と「良い・悪い」は違う

「好き・嫌い」と「良い・悪い」という言葉はどちらも何らかの価値を判断する言葉ですが、ニュアンスがちょっと違いますよね。

「好き・嫌い」というのはどちらかというと個人的な価値判断、それに対して「良い・悪い」は客観的な価値判断というニュアンスが含まれています。

 

辞書を引いてみると、「好き」という言葉は

心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。

という意味らしいです。

それに対して「良い」という言葉には辞書的に以下の意味です。

人の行動・性質や事物の状態などが水準を超えているさま。

つまり、個人的に気に入るか否かという判断が「好き・嫌い」、何らかの水準にしたがってする価値判断が「良い・悪い」ということになります。

 

「好き嫌い」を「良し悪し」と勘違いしてる人が多すぎる

僕が思うに、「良い・悪い」を「好き・嫌い」という意味で使ってる人が多すぎです。

 

辞書的意味を踏まえれば、「良し悪し」という価値判断をするためには何らかの「水準」が必要になりますが、ではその「水準」は誰が決めるの?って話になりますよね。

なかには法律で決まってたり、会社や学校の規則で決まっている水準があるかもしれないですが、全ての人が納得できて、かつ広く知られている水準なんてそんなに多くはありません。

例えば日常会話で「あの人は良い人だよ」、「あのバンドは良い曲を作る」みたいなことをよく聞いたり言ったりする場面が皆さん一度はあると思うんですが、「良い人」の水準、「良い曲」の水準ってなんでしょう?

皆が納得できる水準を定義するのはかなり大変です。

「あの人は良い人だよ」という言葉を使う人は大抵、「あの人のことが個人的に好きだ」と言っているに過ぎませんし、「良い曲」は「個人的に好きな曲」と言っているに過ぎないと僕は思っています。

 

「良い・悪い」という議論は争いを生む

そんなこんなで僕は「良い・悪い」という言葉をできるだけ使わないようにしていますが、逆に何でもかんでも良し悪しの議論に持ち込もうとする人もいますよね。

これも持論ですが、良し悪しの議論をしがちな人って、「悪い」と判断されるものを徹底的に排除しようとする傾向があるように感じます。

 

「不倫をした、あの芸能人は悪い人だから、徹底的に攻撃しよう」だとか、「ここが君の悪いところだから、絶対に直せ」だとかよくあると思いますが、これってちょっと怖すぎませんか?

だって、本当はただ単に「嫌い」という個人的・主観的な評価なのに、それがあたかも社会的・客観的な評価であるかのように「悪い」という言葉を使って排除しようとしているんですよ?

しかもタチが悪いことに、それをやっている人にとってこの行動はほとんど無意識的に行われています。

本来なら個人の好みの問題で片付けられるようなことを、無理くり良し悪しの問題にする必要があるでしょうか。

好き嫌いの主張から生まれるのは「住み分け」ですが、良し悪しの主張から生まれるのは「争い」です。

 

おわりに

「良い・悪い」発言を見たり聞いたりしたときは勿論ですが、自分が書いたり話したりするときにも「好き嫌いではなく、良し悪しという判断が本当に適していいるか」を充分に考えながらしたいですね。

皆さんも、「良い・悪い」という言葉を使うときは、一度冷静に振り返ってみてください。

それでは今回はこの辺で!

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